仕事のできる人は組織化の弊害にならない。

 お世話になっております。

 以下の記事を拝見しまして、思ったことがありましたので書いておきます。
 仕事が出来る人が組織化の弊害になる | 傲慢SE日記 ~個人事業主として獅子奮迅中(TownSoft)~

 私は、組織化の弊害になるような人を「仕事のできる人」とは呼びません。
 ゆえに、仕事のできる人は組織化の弊害になりません。

 仕事のできる人ではなく、プログラムを書ける人に置き換えると、もう少し共感できます。
 プログラムを書ける人は、書けない人を馬鹿にすることがあります。プログラムを書くのは非常に高度な知的作業だと、書ける人は思っているからです。ロジックを組み立て、必要なライブラリを探し、時には2つ3つの言語を同時に扱います。
 プログラムを書ける人は、書けない人にはいくら説明しても無駄だと考えます。まず、コミュニケーションの基本になる知識の量が全然違います。次に、意識が違います。書ける人が「よりよいプログラム」を目指すのに対し、書けない人は「動くプログラム」であればいいと考えます。以上より、書ける人は説明しても無駄とみなし、引き継ぐための資料も作りません。
 プログラムを書ける人は、自分のルールを構築します。プログラムをよりよいものにするために、様々な規約も作ります。

 上の「書ける人」は自分です。ただ、書けない人へAPIを提供するときは説明します。説明できるように、APIが簡単になるようにかなり気を使います。APIの内側を説明することはありませんが、チームとして動けるように頑張ります。私は、本当にいいシステムを作りたいだけなのです。

以上